菅原伝授手習鑑 寺子屋

すがわらでんじゅてならいかがみ   てらこや


舞台背景

時は平安時代。菅丞相(かんしょうじょう)(菅原道真)は左大臣・藤原時平(しへい)の陰謀により九州の大宰府に流罪となります。それを巡って菅家に仕える家柄に生まれた梅王丸・松王丸・桜丸の物語。梅王丸は菅丞相、桜丸は斎世(ときよ)親王、松王丸は菅丞相の政敵・藤原時平に仕えていました。梅王丸は菅丞相の元へすぐさま駆けつけて活躍しますが、桜丸は菅丞相の流罪の原因を作ったことを悔やんで自害してしまいます。そして松王丸は主である時平と御恩を受けた菅丞相との間で苦悩しますが、最後に菅丞相の子・菅秀才の身替りとして我が子・小太郎を差し出して忠義を立てます。やがて藤原時平は滅び、菅丞相は天神として祀られるようになるのです。この物語のうち、「寺子屋」は松王丸が我が子・小太郎を身替りにする場面を描いています。

あらすじ

◆「寺入り」別れを惜しむ千代と小太郎

ここは芹生(せりゅう)の里にある武部源蔵が子供たちに書を教えている寺子屋。武部源蔵は菅丞相の元家臣で書の才能が認められて菅丞相から書の奥義の伝授を受けているのです。この寺子屋では藤原時平の陰謀で流罪となった菅丞相の一子・菅秀才が源蔵と戸浪の子供として匿われています。

子供たちは手習に励んでいましたが、先生の源蔵は村の振る舞いに呼ばれて出かけているため、涎くりが悪戯をはじめます。すると年下の菅秀才が「そんなことをせず、まじめに手習いしなさい」とたしなめました。涎くりは「お師匠様の子だと思って偉そうにするな」と言って騒ぎ出します。すると騒ぎを聞いた戸浪が出てきて「静かにしなさい。今日は寺入りの子(新入生)がやってきますよ。一生懸命習いなさい」と叱ります。

 そこへ菅秀才とおなじ年ごろの男の子を連れて女の人がやってきます。「この子は寺入りをお願いした小太郎と申します。わんぱく者ですがよろしくお願いします」とお母さんに言われて男の子は頭をさげました。小太郎のお母さんが「こちらにも、男のお子さんがいらっしゃるそうですね」と言うと、戸浪は「これが源蔵の跡取り息子ですよ」と菅秀才を紹介します。するとお母さんは意味ありげに菅秀才を見て「良いお子様でございますね」と言いました。

 

 小太郎のお母さんは「これは寺入りのお礼です」といって食べ物をつめた重箱をわたして「私は隣村に用事があるので少し行って参ります。悪あがきせず、おとなしくしているのですよ」と言って出て行こうとします。すると小太郎は不安気な顔をして「お母さん、私もいっしょに行きたい」と立ち上がりました。お母さんは「もう大きくなったのだから、甘えたことを言ってはいけません」と叱りながらも、自分も何か名残り惜しそうに何度も振り返りながら出て行きました。

◆「源蔵戻り」源蔵と戸浪の非情の覚悟

そこへ、重い足取りで源蔵が帰ってきました。寺子たちの顔を見まわして「どの子を見ても田舎育ち。役に立たない」と言い放ちます。戸浪は子どもの悪口を言うような人ではないのにおかしいと思いながら「どうなさったの?ここは田舎だからしょうがないでしょう。今日は寺入りの子がやってきました。機嫌をなおして会ってあげてください」と小太郎を紹介します。源蔵は小太郎の顔を見まわして「そなたは良い子じゃな」と大きくうなずき、「母親はどこに?」と戸浪に聞きました。「用事があるといって隣村に行きましたよ」と聞いた源蔵は「それも良い。大極上だ(この上なく良い)。寺入りしたばかりだから、奥で子供たちと仲良く遊びなさい」と言います。子供たちは大喜び、菅秀才と小太郎は行儀よく奥へ入っていきます。

 戸浪は機嫌が悪かったり、急によくなったりと源蔵の様子がおかしいと思って源蔵に何かあったのか尋ねます。源蔵は言います。

「今、村のもてなしだということで、庄屋のところへ行ってきたが、もてなしというのは偽りで菅丞相と敵対する藤原時平の家来の春藤玄蕃がいたのだ。そして、もう一人は菅丞相の御恩を受けながら恩を忘れて敵の時平に従う松王丸。こいつは病気のようだったが『おまえのところで菅秀才を我が子だとして匿っているのは知っている。すぐに首を斬って渡せ』と言われたのだ。尊い菅秀才様を差し出すわけにはいかない。こうなったら寺子のうち誰かを身替りにしようと思ってはみたものの、どの子の顔を見ても似ても似つかない。ここまでか、と思って帰ってきてみると、今日、寺入りした子を見れば高貴な顔立ち。この子を身替りにしてこの場を逃れよう」

 

戸浪はびっくりしながら「でも、その松王丸という三つ子の中の悪党は菅秀才様の顔を良く知っているのではないのですか?」と聞きます。源蔵は「そこが一か八かだ。生き顔と死に顔は顔つきが変わるもの。偽首だとはわかるまい。もし、偽首だとばれた時は松王丸を斬り倒し、残る奴らも斬って捨てる。敵わない時は覚悟を決めて三途の川を菅秀才様のお供するつもりだ。しかし、一つだけ気がかりなことが。小太郎の母親が帰ってきたらどうするかだ。」と言いました。戸浪が「私が女同士のおしゃべりの中で騙してみましょう」と言うと源蔵は「イヤそれではだめだろう。大事は小事から露見するもの。場合によっては母も斬るしかない。菅秀才様の命には代えられないのだ」と言います。「寺子は我が子も同然。菅秀才様のためとはいえ、その寺子を斬るということは大きな罪を背負うこと。いずれ我が身にも報いが回って来るだろう」と夫婦は嘆きます。

◆「首実検」身替りの首に命運をかける源蔵

そう言っている間に、春藤玄蕃と松王丸が大勢の百姓たちを連れて寺子屋にやってきました。松王丸は病気のため刀を杖にして歩き、たびたび咳き込んでいます。松王丸だけが菅秀才の顔を知っているのです。松王丸は百姓の子供に紛れて菅秀才を逃がす可能性があると、寺子を一人ずつ呼び出させて顔を確かめます。百姓たちの子供が全員出て行ったのを確認して、玄蕃は「残るのは菅秀才だけだ。源蔵、首討って渡せ」と迫ります。松王丸は「裏から逃げ出そうと思っても裏には大勢の家来をまわしてあるから逃げられぬ。また、生き顔と死に顔の顔つきが変わるなどと思って身替りを立てても無駄だ。つまらない小細工をして後悔するな」と言い放ちます。源蔵は「病み呆けたお前の目玉がでんぐり返って逆さに見るなら見違えることもあるかもしれぬが、紛れもない菅秀才の首を見せてやろう」といきり立って奥へと入っていきました。

松王は寺子屋の中を見まわし机の数を数え、戸浪に対して「先ほど出て行った寺子は八人、机の数が一脚多い。その子供はどこに行った」と問い質します。戸浪はうっかり「今日寺入りした子の机」と言いそうになりますが、松王丸はそれを遮るかのように「何を馬鹿なことを言うのか」と怒鳴りつけます。戸浪は動揺した様子で「これが菅秀才様のお机です」と言いなおします。すると奥から刀を振り下ろす「えい」という源蔵の声が聞こえ、戸浪はよろめき松王丸とぶつかってしまい、「無礼者め」と怒鳴られました。

すると奥から首桶を持って出てきて、松王丸の前に差し出しました。実は首桶には菅秀才の身替りとして小太郎の首が入っています。源蔵は「これは大切な首である。松王丸よ、性根をすえてしっかり見分せよ」と言いながら、もしも偽首とばれた場合にはすぐさま斬りかかろうと身構えます。首桶を開けてじっと首を見ていた松王丸は「若君・菅秀才の首に間違いない。源蔵、よくぞ討った」と言いました。玄蕃は菅秀才の首だと思い込んですぐに時平に報告しに行くと言います。松王丸は「自分は病気療養のためお暇をもらう」と言って出て行きます。しかし、松王丸は寺子屋の木戸を締めると病気が嘘のようにスタスタと歩いて去っていったのです。

 

松王丸と玄蕃が立ち去ると、偽首だとばれずに菅秀才を助けることができたと抱き合って喜びました。ほっとしたのも一瞬、そこへ小太郎の母親が戻ってきたのです。源蔵は取り繕いながら「小太郎は奥で子ども達と機嫌よく遊んでいる」と嘘を言って母親を招き入れます。こうなったら母親も斬るしかない、と覚悟を決めて斬りかかります。すると母親は素早く小太郎の文庫で源蔵の刀を受け止め、「若君菅秀才の御身替りとしてお役に立ててくださったか、それともまだか」と言ったのです。驚いた源蔵が「あなたは誰の奥方なのか」と尋ねると松に括られた短冊が投げ入れられました。そこには「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」という菅丞相の歌が書かれています。菅丞相に所縁のある三つ子・梅王丸、桜丸、松王丸に対して九州に流罪となった菅丞相が思いを綴った歌です。「梅王丸はすぐに駆けつけてくれた、桜丸は忠義を立てて切腹した、それに比べて松王丸はつれないのだろうか、イヤきっとそんなことはないはずだ」という意味です。すると何と松王丸が入ってきます。母親は松王丸の妻の千代、そして小太郎は松王丸と千代の子供だったのです。驚いた源蔵は「これまで敵だと思っていたが、どういうことだ」と尋ねました。

◆「いろは送り」恩義のため散った我が子を送る松王丸と千代

松王丸は言います。

「ご存知のとおり我々三つ子の兄弟はそれぞれ別の主人に仕えていました。情けないことに自分は御恩を受けた菅丞相様と敵対する時平公に仕えることになり、親兄弟とも縁切りすることになってしまった。しかし、やはり自分は菅丞相様への忠義を尽くしたいと思い、病気のフリをして時平公と主従の縁を切ろうとしたのです。すると『菅秀才の首を確認したら辞めてもいい』と言われて今日の役目を引き受けたのです。源蔵殿が菅秀才様の首を討つわけがないと思いながらも、身替りとなる子供がいなければどうすることもできない。そこで自分と千代の子供である小太郎を先に回しておいて御身替りにさせたのです。先ほど、机の数を数えたのも、小太郎が来ているかを確認していたのです。菅丞相様には『松王はつれないはずはない』と思っていただいたのに、世間では『松はつれない』と言われる悔しさ・・・。小太郎がいなければ、いつまでも人でなしと言われるところでしたが持つべきものは子でございますな」

千代も言います。

「持つべきものは子なりとは小太郎にとっては良い手向けの言葉でしょう。思えば先ほど別れる時にいつもと違って後を追おうとしたのを叱った時の悲しさといったら・・・。子を殺させに行かせておいて、どうして家に帰れるものでしょうか。死に顔でも良いからもう一度見たいと来てしまいました。寺入りの祝儀として包んだのは我が子の香典の代わり、重箱は四十九日の蒸し物のつもり。そんなものを持たせて寺入りするなどという悲しいことが世の中にあるでしょうか。」

松王丸が源蔵に尋ねました。「首を討たれる最期の瞬間は、さぞ未練な死に方でございましたでしょう」源蔵は「イエ、菅秀才様の御身替りと言い聞かすと潔く首を差し伸べて。ニッコリと笑って・・・」と言いました。

嬉しさと悲しさの入り混じる複雑な気持ちの中、「立派なやつ」と松王丸は我が子を褒めました。それに比べて御恩に報いることができずに切腹した桜丸が不憫で仕方ないと人目を憚らず大泣きします。

そこへ菅秀才が現れて小太郎の死を悼みます。松王丸は菅秀才に一礼をして門口に駕籠を呼びます。中から菅丞相の妻の御台所が現れ、菅秀才と親子の対面を果たします。松王丸は時平に追われていた御台所を助けて匿っていたのでした。

 

皆々はいろは四十八文字になぞらえた野辺の送りを営み、尽きることのない悲しみを感じながら小太郎の死を悼みます。


人物紹介

松王丸

千代

武部源蔵

戸浪

春藤玄蕃

御台所